想い

 訪れたい国の1つ「ドイツ」

 時々ブログに登場していました

私が日本語を教えていたドイツ出身の女性が

ご主人(ドイツ人)とともに帰国することになり、

昨日が最後のレッスンとなってしまいました。

レッスンと言っても、昨日は日本語を全く使わず

話していただけなので、正確にはレッスンでは

ありませんでしたが、本当に寂しい限りです。

 私の興味の対象にあまりなかったドイツ。

(そういえば、ちょっとだけかじっている

カリグラフィーはドイツカリグラフィーですが・・)

でも、彼女のおかげで色々なお話を直接聞き、

ドイツ語にまで興味を持ち、(今のところ

テキストを買って、数字を覚えた段階で挫折・・)

そして、今ではとても訪れたい国の1つとなりました。

ミュンヘンはとても美しい街だそうです。

ドイツ語ができなくても、彼女を訪ねれば、

英語で話せるので、全く不安もありませんし、

彼女が日本を離れてしまうのは、とても残念なのですが、

素敵なご主人、そしてと〜っても可愛いベビーちゃんとも

いつかドイツで再会できることをイメージしています。

 そして本日の午後は、室内楽演奏会に行き、

バロック音楽を聴いて参りました。

ヴィヴァルディやヘンデル等の素敵な音楽を楽しめた

ひとときでしたが、そういえばヘンデルはドイツ出身。

今、私の中でドイツにまつわることが、

色々と入ってくるようです。

脳は、関心を持ったことに関して、無意識に情報を

キャッチするようにできています。

それを拾うか拾わないかは私たち次第。

どのようなことにも、アンテナを張っていると、

一見無意味と思われるようなものでも、

いつか、とても意味のあるものになることも

ありますから、

それらを大事にしながら生きていくだけでも

心豊かになっていく気がいたします。

 

 最高のパフォーマンスをする指揮者の役割

 至福のひとときでした。

素晴らしいオーケストラの演奏を聴き、

日常を忘れて、音楽の世界に深く入り込めたのは、

久しぶりです。

 日・ハンガリー外交関係開設150周年を記念して

小林研一郎さん指揮、

ハンガリー・ブタペスト交響楽団の演奏で、

リスト【ピアノ協奏曲第1番】や

ドヴォルザーク【交響曲第9番「新世界より」】などを。

小林研一郎さんは、いわき市が誇る

世界的指揮者ですが、とっても素晴らしかった!

いつもは交響曲などを聴く時は、結構、オーケストラの

それぞれの演奏者を端から端まで見たりしているのですが、

今日はほぼ、小林研一郎さんに釘付け。

どうやったら作曲者の世界をステージ上で

作り上げていくことができるのかなどと考えながら・・・

 指揮者というのは、まず楽譜を読み解き、

その時代に戻りながら、作曲者と対話し、

音楽を解釈していきます。

そして、今度はそれを沢山の演奏家たちの前で

タクトを振り、現代の演奏家1人1人の個性を

最大限に引き出し、それを生かしながら

オーケストラが一体となるように、そして

聴衆とも共感できるように最高のパフォーマンスを

するのです。

(あくまでも素人の私の簡単な解釈です。)

素晴らしい!という言葉しかでてこない私の

語彙力の乏しさに情けなくなりますが、

同じ曲でも指揮者によってこれほどまでに

違うということを改めて体感しました。

 家庭の中での親の役割。

学校の中での先生の役割。

会社の中での上司の役割。

社会の中でのリーダーの役割。

それぞれあると思いますが、

全て、このオーケストラの指揮者の役割と

通じるところが多くあると思います。

 伝えることは最小限にし、

子どもや生徒、部下の能力を最大限

活かせるような場を提供し、

そして実際に多くの可能性を引き出して

そこの環境がより良いものになるように

作り上げていくことができると

皆が幸せになっていきます。

指揮者の話ばかりになってしまいましたが、

ピアノ協奏曲のピアニストは、お嬢様の小林亜矢乃さん。

彼女の音色も心地よく、繊細でありながら

深みのある音楽に引き込まれました。

 気づきを得て、英気を養った日曜日。

また今週1週間、頑張れそうです。

「長者長法身 短者短法身」

「ちょうじゃ ちょうほっしん たんじゃ たんほっしん」

という禅の言葉があります。

背の高い人は高い人なりの悟りがあり、

背の低い人は低い人なりの悟りがある。

ということです。

 今でこそ平均以上にまで伸びた私の背も

小さい頃はチビで、いつも一番前。

一番大きかった子と比べると、

恥ずかしいぐらい、かなりの差がありました。

早生まれということもあり(言い訳かな?)

皆よりいつも出遅れていて、

必死に付いていく感じでした。

それでも、小さな私を最大限認めて下さり、

成長させて下さった当時の学校の先生に

今でも感謝しています。

 高低、大小、長短等、その他、それぞれの

違いがあっても、それは全て個性であり、

良い悪いではないため、その個性を生かして、

出来ること、あるいは

出来る方法は何なのかと考えることに

力を注ぐ方が賢明です。

そして色々と試行錯誤を繰り返しながら、

自分に一番合った方法、しっくりするやり方を

見つけて生きていくと、

ブレない軸が出来上がり、何があっても

自分らしく生きることが出来るのです。

 今日は母の日で、お花屋さんにもアレンジが

たくさん並んでいましたが、

お花も、華やかなものから楚々としたもの、

明るい色から落ち着いた色。

大きなものから小さなものまで、本当に多種多様。

でも、それぞれに良さがあり、趣があります。

皆と同じである必要は全くなく、

生まれ持った個性を最大限生かして咲くことが

出来れば良いのです。

自分に自信を持ち、しっくりする方法を

見つけて参りましょう。

「恕」〜ゆるすこと〜

 1週間前の話になりますが、

TV番組「情熱大陸」で金澤翔子さんの

最近のご様子を拝見しましたが、いつも

その前向きな姿、努力を惜しまない姿、

謙虚であること、ピュアであることなどに

励まされ、反省させられ、

人生の、あるいは日々の生活のあり方、

自分自身のあり方を考えるきっかけを

与えて頂きます。

 今回特に記憶に残ったのが「恕(じょ)」。

書道の師であるお母様と衝突した時も、

「恕(じょ)〜〜〜!」

と言い合うご様子。

とても微笑ましくもあり、またこれこそ

人生で大切なこと!と思いました。

 「恕」とは、ゆるすこと。

ゆるすには、何かをすることを認める、許可する

という「許す」、

罪を「赦す」、

すべてを「恕す」という3種類がありますが、

お相手を思いやり、広い心で恕すことが

できれば、世の中がもっと温かくなるはずです。

自分を恕し、お相手を恕す。

なかなか出来そうで、出来ないのかもしれません。

だから、色々な諍いが起きたり、問題が起きたり

するわけです。

でも、「恕す」って人生でとても大切なこと。

忘れてはいけないことだと思うのです。

自分自身に時々問いかけてみてください。

恕す心はあるかしら。

恕してあげているかしら。

 

 

 A か B か迷った時は・・

 直感に従いましょう、とか

心の声に耳を傾けましょう、

と言ったって、迷う時は迷うもの。

A をやった方が良いのか

B をやった方が自分に向いているのか・・

自分がワクワクする方を選ぶというのも

迷った時の1つの方法ですが、

それでも決められないことも勿論あります。

他人にアドバイスを求めても、やはりそれは

あくまでもヒントにしかならず、

結局、決めなくてはいけないのは自分です。

ですから、どうしても迷った時は

両方やってみれば良いのです。

やってみて、どちらか、しっくりする方を

最終的に選べは良いわけです。

最初から皆いつも、自分にしっくりするものを

選べるかと言ったら、そんなことはありません。

やってみて、あっ違うかも。。

これは私には合わないわ。。と思ったら、

もう一方をその時に選ぶ。

お洋服の試着と同じです。

お店で、どちらの色が似合うかな、

どちらも好きで選べないから、と

ずっと両方を見比べ続けても

なかなか決められません。

両方を試着してみて、自分にしっくりする方を

選べば良いわけですし、もしかして

両方着たいと思うかもしれません。

やりたいことも、すぐ1つに選ばなくても、

しばらく両方をやっていくのもOK。

やる前から、深く考え込まずに、

まずは行動してみることが大切なのです。

「夢を持って何が悪い」

 大きな夢を語ると、

「ちゃんと現実を見て」とか

「夢見たいなことばかり言っていないで」とか

「それは難しいんじゃないの?」とか

心配の声も含めて、そのまま賛成や応援を

してくれない場合が多いかもしれません。

先日、ブログで話題にした

「NASAより宇宙に近い町工場」の植松努さんも

そうでした。

どんなに夢を語っても、

周りの大人は真面目に聞いてくれず、

掛ける言葉は、「どうせ無理・・」ばかり。

それでも諦めなかったのは

強い信念とビジョンがあったから。

 そして、今日は娘と映画「KINGDOM」で

中国「秦」時代を舞台に、

奴隷から這い上がって国の大将軍になるという

大きな夢を持つ主人公を中心とした物語、そして

たまたまテレビで、名門和太鼓グループ「鼓童」の

メンバーになるべく、研修生として非常に厳しい

訓練生活を送っているスイス人の女性を見て、

とてつもないかもしれないけれど、

大きな夢を持つことの素晴らしさを

改めて感じました。

それを実現するというのは

信念やビジョンだけではなく、もちろん

相当の努力も必要です。

挫折もたくさん味わうはず。

それでも夢に向かって進める人は

本当に輝いて見えます。

生い立ちのせいにも、環境せいにもせず、

大きな問題にぶつかっても、

逃げないことが大事です。

誰もが壮大な夢を持っているとは限りませんが、

小さな目標に向かう場合でも同じこと。

どんなに小さくても、夢を持つということが

素敵なことなのです。

「KINGDOM」でのセリフにありました。

「夢を持って何が悪い!!」

「夢を持つ」ってとても素敵なことです。

 

 色々な感情を味わうと、それだけ心が豊かになる

 人間の心は複雑で、同じような出来事が起きても、

その時の受け止め方によって、ポジティブにも

ネガティブにもなったりします。

ポジティブな気持ちでいられれば

それに越したことはありませんが、

神様は私たちに、様々な感情を味わえるように

仕向けていますので、

どちらも必要な感情なのです。

 飛び上がるほどの喜び。

好きなことをしてわくわくする気持ち。

好きな人と一緒に、ちょっとドキドキする感情。

気のおけない友達との楽しみ。

あるいは1人静かにいる時の心穏やかな気持ち。

・・などもあれば、

打ちひしがれるような悲しみ。

何もかもうまくいかない嘆き。

好きな人と一緒にいられない辛さ。

人間関係がこじれたときのストレス。

など、ポジティブ、ネガティブ、どちらの感情も

あげればきりがありません。

大事なのは、それらの感情をしっかりと

味わい尽くすこと。

たとえネガティブな感情でも、

それに蓋をして閉じ込めようとしたり

避けようとしたりせず、向き合うことにより、

他人の心の痛みにも寄り添うこともできます。

辛い感情を味わうと、そのあとの

小さな喜びに感謝の気持ちを持つこともできます。

そして、たくさんの感情を味わうことで

人として成長し、心が一層豊かになるのです。

魂の成長は自分自身のためだけでなく

世の中への大きな貢献へと結びつきます。

ですから、それぞれ1つ1つの感情、

大事にして参りましょう。

 

 自然に従うだけで美しい

 今年はお庭の牡丹が、例年より早く咲きました。

鮮やかなピンクの大輪のお花は、私のお気に入り。

桜のあと、そしてバラの季節の前のこの短い期間にしか

咲かないこの牡丹を、毎年楽しみにしています。

 可憐な花を咲かせる牡丹はいつも、寒い冬を

じっと乗り越え、春になると。その自然に従い、

少しずつ蕾を膨らませ、そして

美しく花開きます。

誰のためにというわけでもなく、

よく見せたいと思っているわけでもなく、

気に入ってもらいたい、と飾るわけでもなく、

ただあるがままに美しいのです。

 人間もそのようであれば

美しく生きられるのではないかしら、と思います。

他人からどう思われているのかを気にせず、

よく見られようと、背伸びをしたり、飾ったりせず、

素直に自分らしく生きている姿は素敵です。

他人を気にせず、自分らしくいるためには、

揺るぎない強い信念を持つことが大事。

そして自然体でいること。

常に自然体でいられれば、その人それぞれの

魅力を発揮できるはずです。

 夕方降った雨の中でも、

牡丹はその自然に任せて美しく咲いていました。

 私たちを作っているもの

 私たちの身体は、普段食べているもので

作られています。ですから、健康的なもの、

身体に良い栄養のあるものを摂る必要があります。

そこに無頓着になってしまうと、やはり

病気になったり、体調を崩したりしやすく

なるわけです。

そして、身体と心は密接に関係していますから、

身体に良いものを食べ、身体が喜び、

健康な状態であれば、精神も落ち着き安定します。

逆を言えば、健康でなければ、心も満たされず、

他人に対して心を寄せる度合いも少なくなって

しまうのです。

身体のためにも、心のためにも、私たちは

日々、口にする物をしっかりと意識致しましょう。

 では、頭のためにはどうしたら良いでしょう。

それは、やはり頭にも健康な状態になるようなものを

入れるように気をつけなければいけないのです。

頭に良いものとは・・?

それは、美しい言葉や適切な表現。

そして、読むもの、聞くもの、見るものに

気をつけること。

本や情報誌、テレビ、人との会話、街で目にする言葉

聞く言葉、全て頭に入って来たものを元に

思考が出来上がってきて、そして、自分を

作ってくるのです。

食べること。考えること。行動すること。

このようなことが私たちを作るのであれば、

やはり自分の中に入ってくる段階で、

気を遣っていきたいですね。

そして、よいエネルギーを循環できるように

して参りましょう。

 

 

 

 

「それでも人生にイエスと言う」

 どんなに辛いことがあったとしても

どんなに上手くいかないことばかりだったとしても

人生は、自分の意味づけ次第です。

自分ばかりが過酷だと思えば、過酷なだけの人生に。

いつも運が悪い、と思えばその通りに。

でも、試練があるからこそ、成長があり、

辛い状況を知るからこそ、小さな幸せに感謝できます。

 ヴィクトール・フランクルの著書に

「それでも人生にイエスと言う」というのがあります。

彼は第二次世界大戦中、ナチス強制収容所に

入れられましたが、自分でこのように意味付けしたのです。

生きていればいろいろあります。

別に強制収容所に入れられるわけでなくても、

辛いことは辛いですし、大変なことは大変なわけです。

でも、神様は何か大事なことを伝えたくて、

魂に様々な経験を与え、考えさせ、自分自身の存在の

意味を学んでいくようになっているのです。

私たちは、与えられた人生の中で、楽だけでなく、

苦しみも知り、自分自身と向き合いながら、

命尽きるまで、成長を重ねていきます。

その中で、苦しいことがあった時に

「それでも人生にイエスと言う」ことが出来れば、

命を全うできるのではと思うのです。